カレントテラピー 34-3 サンプル

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Current Therapy 2016 Vol.34 No.3 67当事者・家族からのお願い273だけでも良かった.また来月まで頑張れる」といいながら帰っていく.運営しているのは,現役の介護者や看取り終わった介護者などが主で,専門職は多くない.本会では,つどいの他に,電話相談と月1回の会報発送を3本柱の活動としている.11,000人を超える組織となった今でも,こうした自助の草の根的な活動が,認知症の介護家族と本人を支えている.Ⅲ 認知症の人の声を聴く有吉佐和子の『恍惚の人』4)が出版されたのは1972年,この時代の認知症の印象は,「徘徊」,「失禁」,「寝たきり」などで,介護の大変さは強調されたが,認知症の本人の声はほとんど描かれなかった.1997年初版の『Who will I be when I die?』5)というクリスティーン・ボーデン氏(のちにクリスティーン・ブライデン氏,以下クリスティーン氏)の著作は,2001年のニュージーランドで行われたADI国際会議でのクリスティーン氏の口演が多くの感動を呼び,日本にも和訳され『私は誰になっていくの?』6)として紹介された.2004年の京都でのADI国際会議にもクリスティーン氏は参加し,日本の認知症の本人とも交流をもった.当時,認知症になったことを公表することも,認知症になった人が講演をすることも,とても勇気がいることであったし,信じがたいことでもあった.しかし,クリスティーン氏の著作と来日が多くの認知症の人と家族に勇気を与え,関係者に発想の転換を促した.それから10年が経ち,わが国においても「認知症ワーキンググループ」が立ち上がり,認知症の本人が3人,共同代表として名を連ねた.メディアにも多く取り上げられ,認知症の人でも語れること,できることが多くあることを世間に知らしめている.この背景には,認知症診断により早期発見が可能になったことがある.1980年代当時には,認知症の人が語れるとは考えがたかった.当時の認知症は医学書にも診断後6~8年で寝たきりになると書かれていた.おおよそ中等度で診断を受け,薬もなかったため,ほとんどが診断時には言葉を失っていた.しかし,最近は診断後10年超えでも立派にスピーチできる人が増えている.2015年1月に新オレンジプランが発表された.旧オレンジプランからの注目すべき変更点は認知症当事者,特に認知症本人の意見を重視することが盛り込まれたことである.2004年以降,日本においても福岡県の越智俊二さん(故人)をはじめとして,実名公表の有無を含め,多くの認知症本人が自身の体験を語っている.実名公表は家族や親戚への影響,認知症への偏見・無理解によるいわれのない非難を受けるなどリスクも大きい.しかし,実名公表が発言の信憑性を高めもする.国として,認知症当事者の声を聞いていくということを掲げた以上,こうしたリスクを最小限にして,認知症の人が生き生きと語れる社会にすべきである.本会では2004年から10年来,毎年2回の本人・家族交流会を全国の会員に呼びかけ,2泊3日の日程で開催してきた.年2回にしているのは,そのくらいのペースでないと,本人たちの記憶がなんとなくでも続かないからである.その会では毎回交流会の成果物として認知症本人の提言『仲間や周りの人に訴えたいこと』を出している.2013年の項目は,①認知症の病気を正しく知ってください,②「私は認知症です」と安心していえる社会にしてほしい,③認知症があってもやれることはたくさんあります,④認知症があってもできる仕事がしたい,⑤困ったときに支えてほしい,⑥お互いに「ありがとう」と声をかけあいましょう,であった.なかでも②について,もし今,自分の親や配偶者が認知症になったとしたら,自分の家族が認知症だと世間に抵抗なく言えるだろうか.そしてもし,自分が認知症になったとしたら,即座に周囲に認知症になったと言えるだろうか.本会の会員さんでは,「必要に迫られて周りに迷惑かけてもしょうがないから近所の人にはすぐに言った」とあまり抵抗なく公表できたという人も多い.しかし,「地域のつどいにいくと福祉の人などがいて,知られてしまうので隣の地域のつどいにきている」という人もいる.会員である認知症本人は「つどいに参加して,皆が普通に接してくれたから,公表するのは抵抗がなくなっ